
F interview 16


校正者の根本にあり、
大切にしているその態度
「積極的受け身」とは

本づくりと校正 ぼっと舎
校正者
大西 寿男
『校正のこころ』や『みんなの校正教室』など、校正についての情報を発信し続けている校正者の大西寿男先生。
NHKの[プロフェッショナル 仕事の流儀]でも話題沸騰していました。
そんな大西先生に、相手の言葉をきちんと受け止め、理解しようとする「積極的受け身」について詳しく聞いてきました。
言葉を正し、整える校正は、誰にとっても必要なスキルになると大西先生は語ります。
プロフィール
大西寿男(おおにし・としお)
1962年、兵庫県神戸市生まれ。岡山大学で考古学を学ぶ。1988年より校正者として、河出書房新社、集英社、岩波書店などで文芸書、実用書から専門書まで多くの本の校正にたずさわる。とともに、一人出版社「ぼっと舎」を開設、自由な本づくりに取り組んできた。2023年、その仕事ぶりがNHK総合テレビ「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げられ反響を呼ぶ。セミナーやトークイベントで、校正の技術のみならず心がまえを伝える。
“ことばの寺子屋”「かえるの学校」共同主宰。著書『校正のこころ』(創元社)、『みんなの校正教室』(創元社)、『校正のレッスン』(出版メディアパル)、『セルフパブリッシングのための校正術』(日本独立作家同盟)など。
〈ウェブサイト〉
ぼっと舎
長年校正という仕事をしていらっしゃいますが、 校正という仕事の魅力とはなんでしょうか。
一番の魅力は1冊の本が世に出ていく現場に立ち会えることです。
校正と言ってもさまざまで、書籍や雑誌の校正、新聞の校正やカタログやマニュアルなど商業印刷の校正ほか、媒体や現場によっていろいろな校正があります。その中でも私は出版の世界で本の校正にずっと携わってきました。
書き上げられたばかりの原稿は、そのままでは本として世に出すことはできません。最初の校正のことを「初校」と言い、2回目は「再校」、3回目は「三校」、そして最後に念のための「念校」と、完成に向けて校正を重ねるごとに、原稿はどんどん精度を高め、バージョンアップをしていきます。
生まれたての無防備な赤ちゃんのような原稿が、どこに出しても恥ずかしくない力のある言葉に育っていくプロセスに自分も関わることができるというのが何よりの幸せです。
私のようなフリーランスの校正者の場合、関われるのはたいてい初校か再校どちらか一度だけです。それでも、編集者に「あなたの校正でこういうところが助かった」と言ってもらえたり、著者が喜んでおられたと聞くと、とてもうれしいものです。
-校正という仕事を始めたきっかけを教えてください。
校正者が向いていると言われたことがきっかけです。
友人の紹介で『文藝』という文芸雑誌(河出書房新社)の校正のアルバイトをしていた時、編集長の高木有(たかぎ・たもつ)さんに「君は編集者よりも校正者に向いているから校正者になりなさい」と言われたことがきっかけです。河出書房新社の仕事をいただいて校正者として仕事を始めました。
私は元々編集者になりたかったんです。
学術系の小さな編集部に就職し、そこで編集者見習いをしていました。小さい編集部ということもあり、編集者が編集だけでなく校正や営業、ラフデザインを作ったりもします。
しかし、1年も経たない時に、人間関係の悩みなどで辞めざるを得なくなってしまいました。
その後、先の河出でのアルバイトをきっかけに校正の仕事を始めたのですが、編集長の見る目は正しく、自分は校正という仕事に確かに向いていると実感しました。それから35年、ずっと校正者を続けています。
校正者は口コミで仕事が来ることが多いです。
校正者のおそらく9割以上がフリーランスで、正社員の校正者というのはごく一握りです。
新規の仕事は口コミで依頼が来ることが多いです。
校正ができるかできないかは、年齢や肩書き、学歴などでは測ることができません。
この人に仕事を任せて安心できるかどうかは、同業者の紹介がいちばん手っ取り早く、編集者や校正者の間の口コミで仕事が回ってくるというわけです。
現在はとにかく短い期間で本をたくさん作るようになりました。
出版不況の時代に突入し、書籍や雑誌の売り上げが落ちると、それまでの「良い本さえ作ればあとは重版を重ねて利益を上げていくだけ」というビジネスモデルが期待できなくなったのです。
重版が期待できない分、刊行点数を増やすことになります。現在の編集者さんはかなり忙しく、場合によっては一人で10冊20冊を同時進行で抱えないといけません。
相当ハードですよね。
昔は手書き原稿を人が一文字一文字、活版印刷の活字で組んだり、写真植字のオペレーターが入力していました。そのため、一度レイアウトして組んだ紙面やページを後から変更することは簡単ではありません。
なので、原稿段階で完璧を目指すんです。完璧・完全な原稿を目指し、それを初めてレイアウトして校正刷(ゲラ)に組んでもらうわけです。校正段階では最小限の直し、修正しか入らないというのが昔の出版の在り方でした。
しかし、現在はとにかく短い期間でたくさん本を作っていかなければなりません。
原稿は不十分なままゲラにし、編集者、校正者、著者、ライター、デザイナーで修正を加えて完成度を高め、なんとか刊行日に間に合わせるという作り方に変わりました。
-大西先生が著書で書かれている積極的受け身についてお伺いしたいです。
校正者の仕事は圧倒的に受け身です。
まず、校正者は担当する本を選べません。ある時電話かメールで依頼が入り、条件が合えば引き受けます。しかしどのような本がやって来るのかはわかりません。価値観や考え方が違う本や、感性の違う本なども多々あります。
編集者は企画を立て、著者に直接働きかけられる点で決定権がありますが、校正者には決定権はありません。
雑誌などの場合、編集者が編集の権限で原稿に手を加えることがありますが、校正者はリライトや添削をしてはいけません。
明らかな間違い、誤字脱字であっても、校正者は勝手に修正しないで疑問点として「?」をつけてゲラに書き、編集者と著者に確認をしてもらうということをします。
校正の仕事で使う筆記具は大きく2種類あり、赤ペンと黒のシャープペンシル、鉛筆です。赤は「ここはこう直してください。これが答えです」という絶対的な正解を示すものなので、うっかり消されてしまうと困るためにペンを使用します。
それに対し、「これはこうじゃないでしょうか。こうした方がいいのではないですか」という疑問や確認は鉛筆で書きます。それを編集者が取捨選択を行い、著者に見てもらいます。
校正者の指摘やチェックは必ずしもすべてが採用されるわけではありません。
校正者には何の決定権もないのです。決定権があるのは作者だけで、言葉に対し責任を負うことができます。
それは著作権(著作者人格権)という形で法的に認められ、自動的に与えられている権利でもあります。
校正者は著者と直接連絡してやりとりすることはありません。
すべて編集者経由で仕事を行います。校正者が向き合うのは目の前にある原稿であり、ゲラ(校正刷)であり、作品です。
なぜなら、著者と直接会ってしまうと、中立公正ではなくなるからです。著者に対して忖度が生じるかもしれませんし、好意や悪感情を抱くかもしれません。
特に小説の校正では、主人公や語り手に作者の生身の姿が投影されてしまうと、その小説世界は壊れてしまいます。
校正者は与えられたゲラに対し、有効で有益なチェックをするために、純粋でまっさらな目で読み、作者は本当は何を読者に伝えたいと思っているのかをきちんと理解しようと努めなければなりません。
そうして初めて編集者にも作者にも気づかないことに気づくことができます。校正者だからこそできるチェックというものは、そこで生まれるのです。

「積極的受け身」とは、校正者の言葉に対する態度を表した言葉です。
本を作るために、編集者と著者は二人三脚で歩いていきます。それを援助して作品を完璧なものとするために校正者がいます。援助職が前に出て何かを決めたり代わりに表現してしまっては援助になりません。
校正者が「受け身」であるというのは、押し付けられて消極的に受け身になっているのではなく、作品を理解し援助するために、自ら必要だと感じ、選び取っている態度です。
校正者の根本にあり、大切にしているその態度を、私は「積極的受け身」「active passive」という言葉で表しました。
校正というのは誰にとっても必要なスキルになってくると思います。
例えばいま何か話をしている人というのは、自分が言いたいことがあるから話しているわけです。しかし誰もが皆最初から完璧に自分で言語化できているわけではありません。書いてみて初めてわかることや話してみてわかることがあります。
自分の言葉を少し距離を置いて客観的に見直すと、本当に言いたかったことは何なのだろうとより深く理解できます。
言葉というものは、書き言葉も話し言葉も、それを発する人がいて、それを聞いたり読んだりして受け止める人がいます。その両方がいて初めて成り立つものです。
どれだけ一生懸命言葉にしたところで、言葉を間違えていたり、不十分だったりして、受ける人が誤解したり、意図とは違う受け止め方をしてしまう場合があります。そういった時、その言葉は満ち足りているとは言えません。
誰もが日常的に情報発信できる時代だからこそ、発言者と受け取る人の相互関係を構築するためのスキルとして、校正は誰にとっても必要なものになってくると思います。
生きている言葉は、双方の関係をより深めてくれたり、より理解を進ませたり、気づきを与えてくれます。
言葉を生かすことのできる「積極的受け身」の態度から、より良い相互の関係が始まっていくのではないでしょうか。